朝12時半起床。
近所の中屋パンに昼食を買い出し。
レトロな雰囲気だけじゃない。
ここのあんドーナツはとても美味しいのだ(三越にも時々出店しているそう)。

レジでぱんを小分けにする際、ビニール袋の口の両端を持ってクルクルっと回して、閉じてくれる。

「あー、疲れた。私今日300クルクルしたわ」
「まだまだよ。私なんてこの前500クルクルしたんだから!」


左から時計回りにハンバーグパン、ポテトパン、クリームアンパン。

食べながらパソコンを開くと、ヤフーのトップページに「パルコ社長辞任、大株主の意向」の見出しが躍っている。
一連の騒動にはずっと当事者感覚を持てなかったけれど、
こうして書いていると改めて腹が立ってきた。
平野社長はさぞや無念だろう。少なくとも今回の騒動の登場人物達のなかで、
平野社長がパルコを一番好きだったはずだ。好きなものを守るために辞任するのか。
「大株主」が「大金持ち」に見えて仕方ない。悔しいだろうな。


ミリオン座へ向かう途中の花壇にて

午後は伏見ミリオン座で『イリュージョニスト』を観る。
シルヴァン・ショメ監督の最新作、しかもジャック・タチへのオマージュということでずっと楽しみにしていた。
予告編は感動巨編みたいな作りになっていたので、途中までそのつもりで観ていたけれど、そんなことは全然なくて、
やっぱり物悲しい、いつものショメ作品だった。貧しさ、孤独、狂気、ユーモア。
ショメ作品の登場人物には隠された過去も、輝かしい未来もない。淡々と現在を生きている。
彼らの現在は悲惨なようにも見えるが、
それは観客が、過去から未来に向かう「(理想の)人生」という尺度に当てはめて評価しているからであって、
物語の中の彼らは、現在をどう生きるかに精一杯で、それどころではない。
もちろん作中人物には観客と同じように「人生」という尺度で自分の現在を相対化する者もいる。本作で言えば、自殺を考えているピエロがそうである。
それでも、ショメが共感を持って描いているのは、自分の現在を「人生」という抽象的な尺度に照らし合わせて、勝手に絶望したりしない人達だ。ぶっ飛んでいるけれど、強くて、信頼できる人達だ。

そういう意味でも、エンディングロール後のワンシーンは秀逸だった。
センチメンタルな気分を酔っぱらいが笑い飛ばす。そんなシーン。
何といっても、酔っぱらいの笑い声には過去も未来もない。底抜けの現在だけである。



夜は、鯖とアサリのトマトパスタを作る。それとクラムチャウダーの缶詰。
赤ワインはVina Santa MariaのEquus(カルディで1500円位)。

パスタは大変上手に出来ました。ちょっとトマトソースの水分を飛ばし過ぎたくらい。
赤ワインも美味い!けれどグラスがないので、茶碗で飲む。グラス買わなきゃ。

鯖は足が早いそうなので、残った分は卵とじ焼きにして冷蔵庫へ保存。