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鈴木禎次設計の「伴華楼(ばんがろう)」。
バンガロー風の1階部分を文字った名称。
横文字を日本語に吹き替える当時の流行に沿って名付けられた。
案内してくれたおじいさんの解説が面白かった。
●てんやわんやの「清州越し」の最中、
清州から名古屋城下へ移ったその他の大勢の人々の中に、
心機一転の決意を胸に秘めた一人の青年がいた。
かつて織田家の三蘭丸と称された内の一人、伊藤蘭丸その人である。
森蘭丸は主君と本能寺で果てた。さて俺はどうしようか。
逡巡の最中の「清州越し」騒動。
「二君に仕えず」の心意気を胸に、
名古屋城下の目抜き通り「本町通り」、それも城門すぐの一等地で呉服屋を興した。
後の松坂屋、「いとう呉服店」の創業である。
もう1つ、松坂屋と大丸の因縁も面白い話だった。
●1910年、名古屋城城門へと続く目抜き通り「本町通り」で営業していた2つの呉服店、
「いとう呉服店」と「大丸呉服店」それぞれの転機となる年だった。
同年、「いとう呉服店」が、日本橋三越に次いで日本で2つ目となるデパートメントストアを栄に華々しく開業し、
人々の注目を集める一方で、「大丸呉服店」は名古屋から撤退し、ひっそりと本家の京都へと戻った。
こうして1910年を境に「本町通り」から2つの呉服店が消え去ることになる。
以後100年間、「大丸」の名は名古屋で聞かれることはなく、かつて「大丸」が名古屋にあったことを知る人も少なくなった。
そして2010年、かつて同じ通りでしのぎを削った2つの呉服店が
「大丸松坂屋」として再び名古屋の地に戻ってきた。