白隠展@文化村ザミュージアム

拝啓 白隠

先日、文化村ザミュージアムで開催中のあなたの個展を訪ねました。
色々感じるところの多い内容でしたので忘れないうちにお伝えしておこうと筆を取った次第です。

展示作品はどれも魅力的なものばかりで目移りするばかりですが、とりわけ『半身達磨』に強く惹かれました。他の作品にはない鮮やかな色彩のコントラスト、無数の達磨像の中でも抜きんでて凛々しい表情、画と書と絶妙な配置、そして黒く塗りつぶされた背景、それらが相まって得がたい魅力を獲得しているのだと思います。左上、漆黒の背景からぼーっと浮かび上がる「直指人心見性成仏」という言葉は、仏になろうとするよりも自分の中の仏を見つめること、のような意味だと聞きました。15歳のあの日、母に連れられて訪ねた寺院の説法であの世に存在するという「地獄」を知り、あまりの恐ろしさに仏門を叩いてからというもの、「地獄」という捉えようのない観念に悩まされ続け、また同時に、向かい合い続けてきたあなたの心に、この言葉がどんなに切実に響いたことだろうと想いを馳せています。そういえば「南無地獄大菩薩」の書も残していますね。普通、「南無〜」の後には尊い言葉が来るそうですが(例えば「南無阿弥陀仏」のように)、あなたは南無の後に「地獄」と続けました。結局、地獄も極楽も表裏一体ではないか、と。

ところで、この『半身達磨』には、大変珍しいことに、あなたの落款印が押されていないそうです。それは、これが誰のための作品でもなく、これからあの世に旅立つ自分のための作品だからではないですか。赤い衣は死出の旅の供にあなたが選んだ一張羅ではありませんか。大きな眼で見据えているのはこれから登るあの世の険しい山々ではありませんか。「直指人心見性成仏」が発する月のように柔らかな光があの世の旅路を照らす道先案内の役を引き受けているようにも見えます。もう何も恐れることはないんだよ、と言わんばかりに。

あなたにとても親しみを感じる一方で、あなたが帰依していた宗教というものはよくわかりません。けれども、あなたが描いた同門の先人達の姿を観ていると、あなたがいかに彼等の生き様に心を打たれたのかがよく伝わってきます。彼等の想いを引き受けて次の世代に届けたい、彼らが残してきたものに自分も連なりたい。その場所があなたにとってはたまたま臨済宗だったのではないかと勝手ながら推察します。そしてそういう気持なら僕にもよく分かる気がします(我ながら強引な展開で恐縮ですが・・・)。どんな先人達と、あるいはどんな物語と連なりたいのか。そしてどんな想いをどんな風に届けたいと願うのか。それらの応えは自分の中に探していかなければいけませんね。「直指人心見性成仏」の先にあなたがあなたの道を見い出したように。

乱文お許し下さい。とりあえず素晴らしい展示へのお礼とご挨拶まで。

敬具