2009年3月13日〜20日

ギリシャ旅行
アテネを拠点にして、

14日:デルフィ観光
15日:アテネ市内観光
16日:午前中スンニ岬へ、午後はカランバカに移動
17日:カランバカ〜メテオラを観光
18日:ミストラ観光

非時系列的な旅のあらまし
 
 ユースホテルで84歳の韓国人男性と同宿。翌朝流暢な日本語で話しかけられた。韓国の大学で数学を教えていたそうだ。退職後はユースホステルを利用しながら世界を旅しているという。あまりに流暢なので、つい、「なぜ日本語が話せるのですか」と聞く。もちろん植民地政策のせいだった。日本列島以外に日本語を話す人々がいるということを知識としては知っていても、実際に目の前にすると不思議に感じる。俺の中にある日本人=日本語という感覚は根強い。
 話は変わって、彼に「韓国とギリシャの歴史は似ているところがあると思う」と言うと、「それは地政学的要因が類似しているからだよ」と教えてくれた。俺は特に戦後史を念頭に置いていたが、彼はもっと長いスパンで考えていたようだ。ギリシャと韓国の北には大国、南には海。なるほどその通りだ。
 別れ際、数学者の彼に『博士の愛した数式』をプレゼントした。この本は、前日にユースホステルで一緒になった日本人旅行者と交換したものだった。ちなみに俺はその時梨木香歩の『村田エフェンディ滞土録』を渡した。物々交換。
 梨木香歩といえば、信念が人々に与える推進力に対する畏敬の念と、特定の信念を相対化する視点の大切さの間で揺れている作家であり、最近のお気に入りなのだけれど、そういうこともあって、山深くに建立されたメテオラの修道院群を前にして俺は信念が持つ前者の特徴に感じ入った。
 3月という季節が良かった。デルフィにしてもミストラにしても山草が花をつけていた。廃墟に生い茂る植物は松尾芭蕉でなくても見る者を感傷的な気分にさせる。夏草や兵どもが夢の跡。
 それにしてもミストラの遺跡のあの圧倒的な感覚はどこからきたのだろうか(生い茂る植物の効果は別として)。それは「斜めの都市」ということに尽きるのではないだろうか。ビザンツ帝国の有力都市であったメテオラでは山の斜面がそのまま都市を形成している。個々の建築物の高さではなくて立地によって都市の高低が生まれる。
 上方へと固定された視線と、石階段を踏みしめるという運動を通じて、自分が今まさに都市の中心部すなわち高台へと向かっているということが一歩ごとにひしひしと感じられるのだ。広島の尾道を歩いた時の感覚と似ていたような気がする。
 もちろん山の上に位置する建物には正当性が要求される。実際にメテオラでは都市の精神的シンボル(寺院)や実質的な要求(城塞)などが山の上に位置していた。東京みたいに単なるブルジョワが住む山の手や丘の上は民衆のルサンチマンの対象にしかならないだろう。
 その他、もっと個人的なことについてもじっくり考えることができた。何しろ待ち時間や移動時間が長い。自宅でもヒマな時間はいくらでもあるが、ちょっとテレビをつけたりパソコンを起動してしまう。乗り物の座席に固定されて4時間も5時間もボーっとするか、何かを考えざるを得ない不自由な時間というのが旅の醍醐味だ。