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『がちょーん彼女』

 初めに断っておかなければならないことがある。僕は、がちょーん、がどんなポーズなのかよく知らない。下品な番組を視聴することは許さないという両親の教育方針のもと、僕はバラエティやお笑い番組に縁遠い子供時代を過ごした。一度、大好きなアイドルが出ているお笑いトーク番組がどうしても気になって、離れの部屋にあるテレビで隠れて観ていたら突如父親が後ろからグーで殴りかかってきたことがあった。当の番組で頻出する男性が女性を叩くという行為が下品で気に入らなかったらしく、これは「ツッコミ」という日本のお笑い文化の一形態でありツッコミを受ける側も「テレビ的にオイシイ」という恩恵を被っているのだ、という幼いながらの反論は全く通じずボコボコにされた。まあそんなような事情だったから、がちょーん、についても、そもそもオリジナルのがちょーんをテレビで観た事はなかったし、流行っていた当時、クラスメイト連中が繰り出していた物真似レベルのがちょーんがうっすらと記憶に残っているだけだ。要約すると、がちょーんとは何かのタイミングで極端な表情を作る芸、だという位の知識しか僕は持っていないということだ(それも間違っているかもしれないけど)。これから書くのはそんな僕が知っているがちょーん、についての話だ。


酔っ払った彼女から、画数で言うと三画で二文字、というお題を提出されると、それよりもずっと酔っ払っていた僕たちは白熱して思いつくままに苗字を挙げまくった。

「山川!」
「ブー!でも山は正解。」
「山下!」、「山本!」
「ブー!山下はさっき出たし、本は四画でしょう。」
「じゃあ、山木!」
「ブー、山は後ろです。」
「山口!」
「だから、山は後ろだってば!」
「下山!」、
「ブー!」
「・・・小山!」
「正解!」

 そんな風にして僕たちは小山さんの苗字を知った。声を掛けたのは僕たちが三人組で、彼女たちも三人組だったからだ。暇そうな二人組はけっこういたのだが三人組というのはなかなかいなくて、見つけると声をかけていたその二組目だった。小山さん以外の二人の名前は田村さんと、あともう一人の名前は忘れた。

 小山さんは目鼻立ちの彫りが深く、スタイルも良く、一見ハーフ風の美人だが、実際は茨木出身の純日本人だった。お高くとまるという風なところがなくて、彼女たちに最初に声を掛けた時も、女が男の品定めをするあの嫌な時間を、ポーズのためのポーズはくだらない、とばかりに、一杯奢ってよと!と早々に打ち破ったのも小山さんだった。いい奴なのだ。

 小山さんのアルバイト時代の上司だった彼女(田村さんじゃない方)によると、小山さんはしょっちゅうバイトに遅刻してきたというが、小山さんによると、30分遅刻したって時給換算で500円失うだけじゃないか、それだったら30分余分に眠る方が自分にとっては大事だったんだ、とのことだった。いい奴なだけでなく、カッコいい奴でもあった。
 
 僕たちにとっては大変残念なことだったが、小山さんには付き合っている彼氏がいるらしかった。至極真面目らしいその彼のことを小山さんは「ジャガイモ」と呼んでいた。あんまり真面目過ぎてつまらないから別れようか迷っているというところまで聞き出してその時は満足したのだが、その前の彼氏も「ジャガイモ」だったそうで、本当は「ジャガイモ」の真面目すぎてつまらないようなところが好きなのかもしれない。

 酔っ払ったのだろう。田村さんが幼児退行気味に「キリンさんが好き、ゾウさんはもっと好き」的な一方的な自分語りを始めだした。すると、小山さんはそのすぐ隣で退屈そうな顔をしている。彼女はとても表情が豊かで、なおかつ彫りが深い顔立ちということもあって、すぐ顔に出てしまう。その時もザ・退屈とでも形容したくなる表情がそこにあった。そのまましばらく落ち着き無く首を回してあちこち眺めていたかと思うと、突然目を見開いて、次の瞬間、眉間に皺を寄せて口を大きく開いたままの大げさに深刻な表情を作って僕を覗き込んだ。

 ・・・がちょーん!

 どうしてだか分からないけど、目が合ったその時、彼女が確かにそう言っているよう気がした。実際、気持ち良く酩酊して明日には跡形も残らず消えて無くなるような他愛の無い会話を楽しんでいる男女にとって、突如退屈な自分語りを聞かされる位にがちょーんなシチュエーションってあるのだろうか。同じ気持ちでいたことに嬉しくなって僕も渾身のがちょーん!を返した。

 夜が明ける頃、明日というか今朝、自分は仕事があるから、と彼女は一緒にいた女の子達と力強い握手を交わしてから颯爽と一人タクシーに乗り込んでいった。体格の良い彼女が小柄な女友達に握手をして回る様は、プロレスラーがファンの握手に応えているようで、その場にいた僕たちの誰もが、何て男前なんだ、と見惚れていた。

 あれから数時間後、がちょーんの小山さんはファッションビルで靴を売っている。バイトの頃は遅刻ばかりしていたけれど、正社員になってからはしっかりするようにしているという彼女だから、オール明けの今日だって、休み時間に休憩室で爆睡したりしながら、てきぱきと靴を売りさばいているに違いない。理不尽な”お客様”の要求に的確に対応した後で、同僚を振り返って、がちょーん、を決めたりしながら。