7/25

その日はすごい雨だった。
朝、駅に向かう途中、今池の穴という穴から水が溢れていた。

帰り道、雨の上がった街を歩いていると顔見知りのKさんが前を歩いている。
これまで何度か事務的な会話をしたことがある程度で、名前も知らなかったが、
雰囲気や口調、たたずまいからして、変な人(=面白そうな人)だなと思っていたので、
思い切って夕食に誘うと、遅い時間にもかかわらず快く付き合ってくれた。
他に思いつかなかったので、いつもの中華料理屋に入った。

メニューを見ながら、<中華風犬肉のシチュー>というようなものを指して、

「犬の肉だって、食べてみます?」と聞くと
「へー、食べてみましょうか」、と彼女。
「えっ、マジ!?犬の肉だよ!?」、と驚く俺。
「じゃあ、やめましょうか?」、と彼女。
「えっ、いいよいいいよ、じゃあ食べてみようか」、と慌てる俺。

冗談のつもりが、引くに引けなくなってしまった。
と同時に、やっぱり彼女はタダ者じゃなかったか、と自分の眼の確かさが嬉しくなった。
そして、そんな彼女から「え〜、犬の肉なんて無理です〜」みたいな
凡庸な反応を引き出そうと期待していた自分に気付いてげんなりした。
俺が無意識に想定していたのは、多分こんな感じだった。

「犬の肉だって、食べてみます?」、と聞くと
「えー、犬ですか!?」、と驚く彼女、
「意外と美味しいかもよ?」、調子に乗る俺、
「えー、無理です〜」、と嫌がる彼女、
「ははは、じゃあ、やめとこうか」、と余裕をぶっこく俺。

嫌らしい。
そんな自分への戒めも込めて、とりあえず犬の肉を注文してみることに。

「『犬』と書いてあってもイノシシか何かの隠語かもしれないよね」

彼女に喋っているのか、自分に言い聞かせているのか分からないようなことを口走りながら、
恐る恐る、中国人(?)の店員に尋ねる。

「これ、何の肉ですか?あの『犬』じゃないですよね?」
「Dog.…食用Dog」

わずかな期待は粉砕された。
彼女がつぶやく。

「何かドキドキしてきた。」

そうか、ようやくあなたもドキドキしてきたか。俺はさっきからビビりまくりだよ。
と思ったのも束の間、彼女の次の発言には本当に驚いた。

「美味しくなかったらどうしましょう?」

「えーっ、そっちの心配!!!」

思わず心の声をそのまま声に出してしまった。
もうたじたじである。

出てきた犬のシチューを何とか平らげて、
(犬肉は牛肉のような食感に独特の臭みが加わったものだった)、
皿に残った犬の骨を見つめながら俺が思っていたのは、今朝の大雨のことである。

今朝、大雨が降らなければ、電車ではなく自転車で通勤していたら、帰り道に彼女と会うこともなく、そして犬肉を食べることもなかった。けれど、今朝は大雨が降っていたし、俺は自転車で通勤しなかったし、帰り道に彼女と会った。
彼女の方も彼女の方で色々な偶然が重なって俺に会った。
そして2人は犬の肉を食べた。
それもこれも全部今朝の大雨のせいであるような気がする。
過去の出来事が、まさに自分が体験しつつある現在の出来事に向かって収束していたように感じることを「運命的」と呼ぶならば、
その日の食事はまさに「運命的な食事」だった。