『ヨーロッパ退屈日記』/伊丹十三/新潮文庫

「昔のトマトは―わたくしが子供の時分食べたトマトは、そもそも、今のトマトみたいに染めたようなくれない色ではなかったよ。まだ黄色のとこや、緑のとこなんかある時分に畑からもいでくるだろう。そいつを井戸水で冷やしたり、あるいは、バケツに水道の水を出しっぱなしにして、そこへプカプカ浮かべて冷やすのだ。そういうやつは皮なんか厚くって、おしりのヘタのところからは決って放射線状に罅なんかはいっていたものだ。そいつを、ああ、考えるだけでもうまいではないか。夏木立の、体が染まるような緑色の照り映えの中で、丸ごと齧るのだ」p.242

「その日わたくしは縁側に寝そべって、例の、手で捩子を巻く仕掛けの蓄音機で『クロイッツェル・ソナタ』を聴きながらランボーの詩集を読んでいた。夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。」p.274

「窓の外の樹の繁みに、強い夏の日が照り映えて、本もノートも緑色の斑らに染まるかと思われた。練習が終ると、わたくしたちは電車に乗って夕方の海へ泳ぎに出かけた。」p.276

『ヨーロッパ退屈日記』/伊丹十三新潮文庫


もうすぐ夏ですね。