5/29


荒れ模様の1日だった。
こうしてブログを書いている今も、、「ブンブン」とバイクのエンジンを吹かすように風が唸っている。
というか、さっきまで本物のバイクのエンジン音かと思っていた。
2,3日前に、例年よりもだいぶ早く梅雨入りしたそうである。


雨の中、お昼は近所の「浅野屋洋食店」を初訪問。


赤いテーブルクロスと籐の椅子に和洋折衷の「洋食店」を感じる。
他にも、店先の暖簾が日本らしさを感じさせる一方で、
店内のメニューボードはいかにもフランスのビストロである。


メンチボールの濃厚なソース、キャベツにかかった爽やかなドレッシング(甘めの酢が美味!)
そして口当たりはしっかりしているけれど、後味すっきりな赤だし味噌汁。
どれも最高に美味だった。
とくに、「最初は美味しいけれど、味が濃すぎて途中で飽きてしまいがち」、そんなイメージを覆す
赤だし味噌汁には驚いた。

隣では80歳ぐらいのおばあちゃん2人組が海老フライを食べていた。
ものすごくゆっくりと。スローモーションみたいな速度で。
フォークではなく箸で押さえながら、ナイフで切り分けているのが素敵だった。
まさに日本のビストロ(大衆食堂)。

それでも、こんなに美味しい定食を食べた後だというのに、俺は心の何処かで「洋食屋」という看板ををみくびっていたのである。
いくら定食が美味しくても、「洋食屋」のデザートは飾り程度だろうと、無意識のうちに高を括っていたのである。
そんな自分自身の思い上がりに気付いたのは、「とりあえず」注文した苺タルトを食べた時だった。


「脳天を直接刺激するような濃厚な甘さ!
フランスのビストロで食べた数々の「デセール」の記憶がよみがえる。
脳にもお腹にもずしりとくる甘さ、日本ではなかなか味わう機会がなかった。
まさか洋食店で再開出来るとは思ってもいなかったので、この苺タルトには本当に驚いた。
もちろん嬉しい驚きである。

信じられないことだけど、お店を出た時、あんなに降っていた雨が少し止んでいた。


午後は、ノリタケの森へ。
磁器作りの過程を紹介する展示やオールドノリタケの展示も勉強になったが、
一番印象的だったのはノリタケの現在を紹介するショールーム
IT関連部品の焼成だったり、セラミック義歯だったり、自動車部品等の研磨機だったりが展示されている。
ノリタケ創始者である森村兄弟がショールームを見たらさぞや驚くだろうという感じのラインナップである。
でもよく見てみると、「製品」としての磁器とコンピュータとの間には大きな隔たりを感じるが、
研磨や焼成など製品を生み出す「技術」をみると、そこには確かなつながりがあることが実感できて大変面白かった。
切ったり、貼ったり、焼いたり、磨いたり、撹拌したり、人間はずっと昔からそういうことをやっていたんだな。
その精度や効率をひたすら高めてきたんだな。

夜はシネマテークで『100,000年後の安全』を観る。
無害になるまで100,000年かかると言われている放射性廃棄物の最終処理場のドキュメンタリーである。
10万年耐えうる建築物、10万年語り継ぐ物語、10万年後の言語、10万年後の世界、10万年後の人々。
この世界の片隅でそういうことを日々考えている人達がいるということは、どこかロマンチックである。
映画自体も10万年後の人々へのメッセージというスタイルであり、
(「10万年後」について議論することの滑稽さに対する監督の批評的な目線が根底にあるにしても、)
穏やかな口調やいかにも北欧風のメタリックかつスタイリッシュな映像が美しい幻想的なものであった。
それにしても、切ったり、貼ったり、焼いたり、磨いたり、撹拌したり、そうこうしているうちに、
放射性物質が生まれて、その処理に10万年かかる、というのはどこか飛躍がある。

10万年後の人々に対する責任もさることながら、
天災や突発的事故など、今日明日の心配もしなければいけないのである。10万年先まで。
まともな神経ではやっていけない。だから、そういう可能性には蓋をして日々を過ごす。
もちろん、放射能汚染の他にもたくさんの可能性に蓋をして日々を過ごしている。
飲酒が原因で体を壊す可能性、交通事故に巻き込まれる可能性、うんぬん。
どんな可能性に蓋をしてどんな可能性に蓋をしないのか。
それは自身の価値観の表明である。
もちろん価値判断を下すにあたって分からないことはたくさんある。
ちょうど映画の中でも、「不確実性の下での意思決定」という考えが紹介されていたけれど、
美味しい洋食屋でメンチボールを食べて、隣ではおばあちゃんが海老フライをゆっくり食べている、
そいういう当たり前の日常と、それを支える生態系(安全な食べ物)というものを素朴に尊重している1人して、
分からないなりに脱原発を支持する。
脱原発に伴う現実的な諸問題は山積みである。
「それでも」という強い意志を持って俺は脱原発を支持する。少し大げさかもしれない。
けれどそのくらい強い意志を持たなければ、何も変わらないし、このままズルズルいっちゃうんだろう。
それだったらわざわざ意思決定する必要なんてない。

今日の晩御飯



本日のヤフーニュースによれば、ドイツでは脱原発を掲げる野党が支持を得ており、
15万人が脱原発デモに参加し、推進派だったメルケル首相が脱原発に舵を切ったという。


以下、Twitter経由で知った、PLAYTIME CAFEのブログから引用。

                                                                                                                                                                                                                                              • -

Fri.05.27.2011

ありがとうございました。

3月11日から、なにもかも、変わってしまいました。
一杯の珈琲と、音楽と、語らいと泣き笑いの日々が懐かしいです。

今の現実があまりにも非現実的で、こころの整理がつかず、言葉もまとまらず、お知らせが今になってしまいました。
たくさんの方々にご心配をお掛けしてしまいました。申し訳ありませんでした。
そして、手紙やメールや電話で励ましてださったみなさま、いろんな物資を送ってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。


プレイタイムカフェを閉めることにしました。

プレイタイムカフェは、わたしたちにとっては、命のようなものだったので、とても辛いくて悔しい決断でした。
この場所での再開を楽しみにしてくださっていたみなさま、ほんとうにごめんなさい。
でも、またいつか、別の場所で再開するつもりです。
それまでは、イベントなどに出店したりしながら、丹治マスターは焙煎の修行、わたしはアロマテラピーやハーブの仕事をしていこうと考えています。


プレイタイムカフェは2001年5月22日にオープンしました。
初日のお客様は、8名様でした。
1年もつかどうかさえ心配でした。
まるで、昨日のことのようです。
あれから10年、お陰さまで、たくさんのお客様、友人知人に支えられ、愛されたことはほんとうにありがたく、幸せな日々でした。
たくさんの思い出が出来ました。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。
今年は10周年イベントを企画していましたが、残念ながら出来なくなりました。
いつか、再開できる日がきたら、やりたいと思います。


店を閉める理由は、東京電力原発事故による放射能汚染です。
郡山市は避難地域ではありませんが、放射線量も高く、そして土壌汚染も深刻です。

自分達が被曝することが怖くて、店を閉めようと思ったのではありません。
お客様に安全な食べ物や飲物をお出しできない以上、どうしても店を続けることが出来ませんでした。
お米は、長くお付き合いのあった地元の無農薬栽培の農家さんから。
卵は、知人の作業所のおっぱなし卵。野草や残飯や貝などの餌を食べ、太陽の下でのびのびと育てられたニワトリの卵。
そのほかの食材も、できるだけ地元で誠実にまっとうに作られたものを使ってきました。
メニューにそういうことを書かなかったのは、それは本来あたりまえのことだと思っていたからです。
しかし、今は、その「あたりまえ」があたりまえでなくなってしまいました。
春の楽しみ…ふきのとうやタラノメを摘んで、食べることもできませんでした。


わたしは、原発から35kmくらいの田村市で生まれ育ち、小学生の遠足では原発に行きました。その時、直感的に違和感を感じました。
その後、チェルノブイリの事故が起きたのをきっかけに、原発のことをいろいろ調べてみました。
原発というのは核のゴミの処理方法も無いままに、見切り発車でスタートしたということを知り、愕然としました。
それから、脱原発市民運動にも参加した時期もありました。
その頃、チェルノブイリの汚染された地域に、事故後も住み続けている人達がたくさんいることを知り、なぜ避難しないのか、とても不思議で、信じられませんでした。
しかし、まさか、自分も同じようにこうして汚染された土地に住み続けることになろうとは思ってもみませんでした。
今は、チェルノブイリの人達の気持ちがわかるような気がします。
避難しても、しなくても、苦しいのです。


世界は変わってしまったのだと思います。
だから、わたしも、変わろうと思います。
命が助かったからには、絶望することなく、楽観することもなく、生まれてきたからには死ぬまで生きるということを、できれば、楽しみながら、まっとうしていこうと思います。


地震で自宅が全壊してしまったので、あちこち転々としていましたが、とりあえず、三春町に引っ越すことになりました。
いつまで三春町に住むかもわからない状況ですが、なにか楽しいことを始めようと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。