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雪のせいでスケジュール変更があったので、映画館で3本鑑賞することに。

『駆ける少年』@渋谷オーディトリウム

とにかく少年が駆けて駆けて駆ける映画。観ていて気持ち良かった。
監督が劇場にいらして、「小津と黒澤と成瀬に大きく影響を受けた。この映画にもその影響を見てとれると思います。」と挨拶していたが、少年が水辺を走っている様子を俯瞰で長回ししているシーンを観てヌーベルバーグっぽいなと思った。ヌーベルバーグの監督達だって小津や黒澤に影響を受けているのだから当然かもしれないけれど、どうやら俺の思考回路は「若者」と「水辺」と「俯瞰」と「長回し」が結びつくとヌーベルバーグっぽいなって思うらしい。
それはともかく少年たちが燃え盛る炎にに向かって、互いに足を掛けたりぶつかりあったりして、足を引っ張り合いながら全力疾走するラストシーンの迫力が素晴らしかった。
上映後に知ったのだけど、この映画はイランイラク戦時中に撮影されたようで、それはすごい話だと思った。
戦時中に、戦後を見据えるかのように少年達のたくましさを切り取った監督の志もすごいし、実際に撮影して完成させてしまった行動力もすごい。

ミツバチのささやき』、『エル・スール』@早稲田松竹
3年前にやはり早稲田松竹で併映していた時に鑑賞して以来の2作品。

ミツバチのささやき』は3年前のメモがmixiに残っていたので引用。
印象はあまり変わらない。とにかくアナの存在が圧倒的。

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それは映画の世界か夢想の世界か、いずれにして感受性の強いアナは『フランケンシュタイン』の映画を観て以来、現実ともう1つの世界の境界線を、それとは気づかずに行き来している。そんなアナの役柄にリアリティを与えているのは、吸い込まれそうなアナの瞳と、アナの姉のイサベルの存在だ。
アナがふと「あちらの世界」に行ってしまいそうになる時、それを必死で呼び止めようとするイサベルの「声」は、例えアナに届かなくても、「こちら世界」を代表してアナを見守る見えない力。

列車が近付いてもなかなかレールから離れようとしないアナに向かって「アナっ!」と鋭く短く叫ぶイサベル。
失踪したアナを探して大人たちとともに「アナーーー」っと荒野に向かってあてどなく叫ぶイサベル。
失踪の後、無事家に戻り、疲労困憊で寝込むアナを覗き込んで、アナがそこにいることを確かめるように、けれど起こさないように、そっと「アナ」とささやくイサベル。

そういえば「私はアナ」というあちらの世界へと通じる呪文を最初に教えたのもイサベルだった。

イサベルはイサベルで、少女から女性という新しい世界への移行を経験しつつある。黒猫を撫でているうちに、ふと首を絞めてみる。暴れる黒猫に傷つけられた親指から流れる血を、唇に塗って、鏡で見つめるシーンは、女性性の目覚めのようなものを少女の残酷さとともに垣間見せてくれる美しくて迫力のあるシーンである。

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一方、印象が大きく変わったのが併映の『エル・スール』で、こちらは3年前に観た時はあまりピンと来なくて、というよりも直前に観た『ミツバチのささやき』の衝撃が大き過ぎて、印象がかすんでしまったのだと思うけど、今回見直したらとても良い作品で驚いた。上映時間があっという間に感じる類の全編通して強度のある映画だった。幾つか印象的なカメラワークもあったし、モチーフとして採用されている「en er mundo」の使い方も効果的だったし、そういう意味では『ミツバチのささやき』よりも“良く出来た”作品かもしれない。

にもかかわらず、第一印象で大きく差が開いてしまったのはやっぱり『ミツバチのささやき』のアナ・トレントの存在感。
もう1つは、採用している語りの時制の違いによるのかもしれない。ミツバチ〜は完全に現在形で、目の前で展開しているストーリーの“外部”は存在しなかったが、エルスールでは時々、成長した主人公の少女が過去を振り返る形式のナレーションが入る「〜〜に当時の私は気付かなかった」とか。このナレーションが観客の物語理解を助けるのだけど、一方で物語に対して客観的な立場を取らせることになる。状況説明無しで、登場人物と同じ視点でぐいぐい展開するミツバチ〜の方が、アナとアナを見守る人々に同化し易いので、鑑賞後に強い印象を残すのかもしれない。