『文明の内なる衝突』/大澤真幸、NHKブックス

以下、2008年5月のmixi日記から転載
転載文にある、アガンベンの本に何が書いていたかは覚えていないけれど、レバノンのニュース映像は今も覚えている。

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今日は14時〜18時までM2で修士論文構想報告会を行い、18時半〜21時半までM1の修士論文構想報告会に参加。疲れた。明日の授業の準備が終わっていれば、さぞかし美味い一杯を飲んで今頃気持ちよく寝ていたのに。ちくしょう。
 
 息抜きとして、そのうち書こうと思っていたことを今夜書こう。
タイトルに引かれて『文明の内なる衝突』/大澤真幸、を読んだ。色々面白い議論があったけれど、「恥ずかしさ」についての考察が印象に残った。他者が自分に対して呼びかけているが分かっているにもかかわらず、それに対して肯定的に応答することができない時、人は恥ずかしいのだという。
 例えば修学旅行で、パンツ忘れた人〜、と皆の前で呼びかけられたとき、パンツを忘れた当の本人は、自分が呼びかけられていることを知っている。しかし、「パンツを忘れた人」という呼びかけに対して自らを同定することが出来ない。故に彼は恥ずかしい、ということだろう。
 そういう恥ずかしさについて思いあたることがあった。だいぶ以前、シリアがレバノンに侵攻して爆撃した時のこと。BBCかどこかの報道番組で被災者がLet the world know what is happening here!というようなことをカメラに向かって叫んでいた。それを聞いてやりきれない、と思ったが何故そう思うのかよく分からなかった。彼女としては、自分が直面している悲惨な状況を知れば世界は放っておかないだろうという意味だったのだろう。その時俺は自分がworldとして呼びかけられていると感じたが、それを引き受けることが出来なかった。故に恥ずかしかった。
 そういう風に理解するとすっきりした。あまりにもすっきりしたので、恥ずかしさについて大澤が依拠しているアガンベンの本を買った。こんなすっきりしていいのか、ということを念頭にいつか読む、つもり。
 でもその前にこの長い1日に早くけりをつけなければ

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